大学の先生で、この人は凄いなって思う人は何人もいます。
そして、そのうちで、また違う尊敬というか、そんな感じに思っている人が数名います。
この研究室の先生方。 それぞれ方向性は違うけど3人いらしゃるんですが。
教授は、知見はもちろん視点とかハッとさせられることが多い。
准教は知識や、見識、それに鋭い指摘。お茶目だし。
助教は、ほんとアクティブって言葉がぴったり。
先生の観点から良い研究室です。
さて今回、
ここで書こうと思ったことは、うちの研究室の方のことじゃなく、ある先生についてです。
大学で力学を教えてもらったことのある先生なのですが、この先生は、なんというか、大学の教授らしくなく(?!)教えるのが上手なのです。
不真面目な僕の意見だけでは偏りがあるかと思いますが、真面目な某学生も分かりやすいとの評価でした。また単純に僕の力・努力不足で理解しがたいのかもしれませんが、それにしたって分かりやすいのです。なぜ分かりやすいのか考えたのですが、まだ分かっていません。
今までの教育制度なんかの蓄積を単純に比較してみると、
義務教育など、算数や数学、化学、物理などの授業は、時や量を経る中での蓄積等で内容・教え方が体系化されブラッシュアップやコツや教材がより良くなる等のことの機会が多いように思うのです。でも、大学の授業は、専門性が上がると途端に受ける受けている絶対数も少なくなるように思います。
つまり蓄積等が少ないのかなと個人的に思っています。
こうしてみると、大学の先生の授業が分かりにくいことを擁護ようですが、そんなわけではなく、この先生はやるぞってことが言いたいのです。苦笑
ちなみに決して、小学校や中学校の先生方が楽だと言っているわけはありません。時間や量などから、大学より義務教育の方が教材なんかより検討されて分かりやすい傾向にあるんじゃないかなって意見です。
ま、前振りがながくなりましたが、
その先生の講義を再び今回1回のみでしたが受ける機会がありました。その中で、
「いかにものごとを単純に捉えるか」
現象をつぶさに観察し、その本質を簡単なモデルで表現することが研究の目的であると、
(土木の)研究者として大事だということを仰っていました。
というのも、ざっくり言いますと、
技術者(≒科学者?)は文化を次世代に継承、発展させていくことが重要な使命であり
(『学生に与う』とかの考え方に近いものを感じますし、僕はそんなに違和感はないです。)、複雑なもの(技術)は後世に伝わらないから、単純じゃなきゃ駄目なんだと。
中学時代に立志式ってのがあって、立志の言葉ってのを個々で習字にしました。
僕の立志式の言葉は、 「森を見て木を見よ、木を見て森を見よ」です。
今日は、先生の授業も60分前振り、15分本論って流れでしたが、なんか同じような感じになってしましましたm(_ _)m
大きく全体を見る目を養いたいなと思った、夕飯に味がない今日でした。苦笑
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